記 録 考

ホームページを始めて10年になる。
釣りの記録も10年になる。
毎度、思いつきなどを好き勝手に書いてきた。

そもそもボクは、メモをとったり記録するのが苦手だ。

小学生の頃は、夏休み日記を8月末の数日間で書き上げた。
その数日間ほど辛いものはなかった。

高学年になると、授業の講義は右に耳から左の耳にダダ流れ、
そのくせノートを録ろうとしなかった。
試験直前になって、友人のノートをコピーすれば良いと思った。
おかげで追試が山のように築かれ、悲惨な日々を送らねばなら
なかった。

きちんと働くようになっても、メモを録ろうとしない。
おかげでどれだけ痛い目にあったことだろう。
人一倍記憶力が劣るのに、なぜ記録をとろうとしないのか、
自分には学習能力がまるで無いのか、
いつもいつも後悔の繰り返しだった。




山の後輩に几帳面な男がいた。
彼は山行の休憩ごとに記録を録っていた。
「何時何分、何処何処で小休止、天気快晴、体調よし問題なし・・・
 先輩の威張りを除けば特に問題なし・・・」

彼は写真機を持参し、記録写真も撮っていた。
クラブでは唯一のカメラマンだ。
ただでさえグズグズしているのに、撮影に時間を費やすから
私はアタマにくることがあった。

しかもカメラ自体が、かなりの重さである。
一眼レフという本格的なものだ。
各々がリュックの重さに神経質になっているだけに、見過ごす訳に
いかない。荷は平等が原則である。
罰としてリュックに入れる共同装備を、彼だけは平均以上に重くして
やった。
チョットでも足取りが遅くなると、ピッケルでケツをド突いてやった。

しかし、どれだけ虐待されようと
後輩は自分のスタイルを変えようとしなかった。
愚直すぎるほど頑固であった。
頑固ゆえに素直さが無いかというと、そうでもない。
いわゆる先輩の「高説」には、神妙に耳を傾けた。

「 いいかボケ、よく聞くのだ
 山の景色なんてえのはオノレの目に焼くつけるものさ
 写真や記録で済ませようなんて安っぽ過ぎる
 ココロに焼きついた映像は、未来永劫なんだぜ
 何度もおなじことを言わせるなボケ 」

後輩は忍耐強い男だった。

山から帰ってしばらくすると、彼は写真を持ってきた。
自前のお金で焼き増ししたものを、無料で仲間に配るのだ。

後輩は私にとって貴重なザイルパートナーだった。
社会人になってからは沢登りの唯一の相棒だった。
彼のザックには必ずカメラと手帳がが入っており、
私は己のスタイルを貫くため、自分の荷を軽くし、その分を彼に
負担させるのだった。






とにかく私の人生の大半は、カメラとか手帳とかは無縁で
あった。
ホームページに手をだすまでは、カメラなんかに触りたくもな
かった。
家族の記録写真なんて、すべて妻まかせだったのだ。



今わたしは、せっせと写真を撮っている。
それをせっせとホープページに貼り付けている。
青いトレーに季節の花を添え、釣りたての魚を並べる。
そんなことを10年も続けている。
今回は冷凍の残りエサです。
終の棲家を建築中の大工さんが、連日寝泊りしているから
冷蔵庫は電源を入れたままなのです。

ドジャぶりの雨の後だから、大物を期待したのですがアジは
やや小ぶりとなりました。
そのかわり、塩焼きにピッタリの真ダイがきたからウレシイのです。

記録写真は苦手ですが、吹聴写真だけは好きだなあ