神だのみ

何が釣れるか分からない、
竿を出してみないことには分からないのだ。
たまにはマグレが欲しい。
マグレがないと人生はつまらいのだ。

ひょっとして、今まで釣ったこともない大物に会うかも知れない。
毎度同じパターンの繰り返しじゃあ、飽きてくるのよ。
そろそろ異変が訪れもイイんじゃないかな、
オレって、最終的には、強運なタチかもしれないし。

なぜかって、
ただ、そんな予感がしてるだけなんだけどね。
神様なんて信じていないけど、でも、イイ目に会いたいときだけ
神様を信じることにしてる。
どっちかというと、自分は神様の申し子だと、思うことだってあ
るし。

過去を振り返ってみよう。
まるで釣れなかったときは、
「あと30数えて、アタリがなければ釣りをお終いにしよう」と、
ひとーつ、ふたーつ、みーつっ・・・と、数えだす。
30数えて、アタリがなければ諦めもついた。

もし、もし神様の、お心に通じれば、
竿先が激しく震え、突然の衝撃が襲うことになろう。
竿が大きくしなり、海中からデカ魚が躍り出すかもしれない。

百回に一度、いや千回に一度、あったかもしれない。
いや、確かにあった。
過去に奇跡が起こったのだ。

奇跡は少年のときのコブナだったかもしれない。
あるいは、初めてのコイやナマズだったかもしれない。
ボーズと諦めていたときの最初のデカアジだったかもしれない。

こうした経験は、
「ほれ、やっぱりそうだ、オレさまには神さまが・・・オレさまに」
と、有頂天をさ迷うものだ。







千回に一度のマグレは、決して忘れない。
マグレの虜となり、体がしっかり覚えてしまう。
一攫千金を狙うギャンブルと同じだ。

だから、千回に一度しか巡って来ない奇跡に会うため、
ギャンブラーはパチンコやマージャンや競馬に通い、

ヘボギャンブラーのワタクシは海に通う。 ことになる。

まあ、釣りってだれしも、こんなもんじゃないだろうか。

お盆の時期の名古屋は猛烈な暑さです。
五ヶ所も暑い。
庭の草刈は30分も続きません。
デカアジ釣りも30分も続きません。
群れが遠のくと、釣りにはなりません。

毎度お馴染みの釣りパターンが続いていますが、今回は違い
ます。
ご覧ください、一番小さなオサカナ。
五ヶ所湾で初めて釣り上げたスズキ(の赤ちゃん)です。
ワタクシにとって記念すべき釣果です。

ところで同じく記念すべき釣果が、翌朝に、友人夫婦の竿にも
たされました。
初めて太刀魚を見ました。
ワタクシの手にかかるべきだったのに、なぜ!
くやしい ゆるさない