風呂につかり
ながらこの景色
窓は紐で引い
て4段開閉
爺さまと

誰にも気がね無しに大工仕事ができるのは嬉しい。
貧しかった少年の頃は、金槌が無いものだから石を代わりにして釘を打ちつけ
たもの。
いろんな道具を買えるようになった今じゃあ、どうだろうか。
カンカンと釘を打つ音も、せいぜい許されるのも一時間ぐらいか、それも周りに
大変気を使って音を出さないようビクビクしながら、都会での日曜大工となる。

ひとつ木を切るのも神経を使うし、電動工具なんて夢のような世界でホームセ
ンターで手に取っては、そのうちに…と気持ちをなだめて堪え忍ぶのである。
まるで解き放たれたような気持ちで、頭を空にして思いっ切りノミをたたく。
近頃は中高年にとってますます息苦しい時代になってきた。それもこれもあって
都会を忘れ 時間を忘れ 我を忘れ、ひたすらノミを打ち込むのだ。

土台のホゾ穴も半分は仕上がった頃だろうか、いつも世話になっている爺さんが
御機嫌伺いにやって来た。
小屋の基礎は爺さんにお願いしたもので、思い出せば暑い夏の盛りのことだった。

今日は、着古しをたくさん着込んで身動きもままならぬ正月の元旦。
おとそ気分の爺さんと並んで、北風に背を向け、鼻水をしゃくりながら黙々とノミを
叩きつづける。
少し元気がないので聞いてみると、大晦日の昨夜は伊勢神宮の初詣に行き、その
ままどこかで飲み明かして酒がまだ抜けぬらしい。
伊勢神宮までバスでおよそ40分位ぐらいだろうか。
きちんとした道路が出来る前は険しい山道を峠越えしたらしく、それもつい最近こと
で、せいぜい10数年少し前のことだ。
その険しい山道を使っての伊勢神宮への初詣は、ずっと昔から続けていたという。
近くには行き交う漁船もなく、元旦の静かな入り江を、しかも朝早くから「カ−ン カ−ン
カ−ン」とやかましいこと。
内心はちょっとマズイのではないか、と気に留めていたものだが爺さんの出番でとても
心強い。

海は寒くなるに従い透明度を増し、木っ端グレが勢いよく群れている。
「昔はな こんなもんじゃなかったさ  もっときれいやったな。」と、ほろ酔い爺さんがきっ
ちりした言い方に変わった。
「こんなにカキがたくさんおるちゅうことはさ、海が汚なくなったちゅうことやなあ」
「えっ、カキがいることは、きれいな証拠じゃないの?」
「なあーん昔は カキはぜんぜんおらんかったさ  もっともっときれいでさ おおきなタコが
ナンボデモ獲れたもんさ」
思い出話は楽しく尽きることなく、はるか遠く沖縄の石垣島で爺さんが少年時代を過ごし
たことに広がっていった。
当時、五ヶ所湾の真珠養殖技術はたいへん優秀だったらしく、技の伝授が遠く「外国」に
まで及んだとか。
きっと五ヶ所の漁師さんも、ずいぶんあちこち遠くまで行ったのだろう。

海を渡ってくる北風は海辺の小屋にぶち当たり、崖を突き上げる風の勢いも増してきた。
強烈な「五ヶ所おろし」を背中にに受けながら、暖かい海の懐かしい昔話に聞き惚れるの
だった。