夏の日
やっとのんびりとした夏を過ごすことが出来ると期待していたのに。
出来あがったばかりの小屋での夏休みは、ぱっとしない空もようつづき。
ほんの少し動くだけで、汗が次から次に吹き出て、おまけに蚊もやたらと多い。
唯一の救いは、開け放した和室が思いのほか風がよく通ること。
人気のない田舎屋で、たっぷり昼寝をし、動きを止めた夏の日。
のほほん のほほんと、寝て食ってまたヨダレをたらして寝るにしよう。


一番近いお隣が並原さんだ。
しかも目に届く範囲でたった二軒のうちのひとつ。
片道3時間かけての週末暮らし、25年間以上も前か
らだと聞いてびっくり。
当然、今のように高速道路もない時代のこと、まさに
辺境の地だったろうに。
「むかし、鳥羽に近い安乗に小さい小屋をもっていたん
じゃがここが気に入って、そこを手放してもうてな。」
五ヶ所湾の前は、的矢湾にも海辺の小屋を所有されて
いたとは驚き。
永遠とつづく海辺へのあこがれは、もうかれこれ40年
にもになるのだろうか。
「イカダの数はずいぶん減ったけんど、自然の景色は
変わらんでいいわなあ」
と、大きく変わってしまった時代と、変わらぬ入り江の
景色にじっと目を細める。
並原さんの縁側より海を望む。来客があると
犬の「花子」がうれしくて上がりこむ。

「安乗にいたころ、夏休みには若かった息子が鳥羽まで
電車で、それから自転車に乗り継いでやってきたことも
あったです」
いつも「花子」といっしょにいる姿しか見ていないので、
ピンとこなかったが、かつては五ヶ所湾にも息子さん
やお孫さん達がよく訪ねてきたという。
最近は「花子」とふたりきりがほとんど。
そして、いまでも高速道路を使わず国道を走ってくるら
しい。

小さな入り江を隔てて雨戸をあける音が聞こえてくると、
「あっ、並原さんが来てる!」
と、思わず口走ってしまう。
「花子」は7才。並原さんは今も現役の仕事師。
晩年青年と犬はよく似合う。


肉声の盆踊り唄にさそわれ今年の夏も出かけた。
唄人が出番をひかえて落ち着かない様子。
「ず−と唄わないかんので、今はテ−プです。直ぐ
出番ですので…」
と、人なつこそうな「歌手」は茶で喉を湿らせる。
一本調子な民謡でもない長唄が延々と続く。
一つの唄と単調ながらも哀愁を誘う踊りは、肉声故
に歌手交代までエンドレス。
この唄一本だけで深夜の2時まで続けるという。
「昔は徹夜で踊ったもんや、空が白んできたころにゃ
頭がどうにかなっちまいよってな」

9時ともなると狭い境内に人の輪も三重になる。
夜店と子供だけが目立つ都会の盆踊りと違い、皺に
刻まれたオッサンが多いのもうれしい。
呼び物の仮装の人たちも輪に加わって


毛がすっかり抜けて「太郎」とは気づかなかった。
しばらく会っていなかったので、ただ々再会の喜びを
交わします。
いわば飼い犬と同じで、気心の通じた者どうし、一月、
二月会わずとも、どってこともなかろう。と、思うものの
心配したで、ほんまに。
最初は、久しぶりなので少し緊張しているようだったが、
しだいにいつもの「太郎」くんに戻っていく。
毛替りのシ−ズンだから仕方がないが、毛がないと
とてもやつれて小さく見える。

さっそく大切に仕舞っておいたメバルのサシミとアジを
くれてやったのだが、メバルには目もくれない。
さすが五ヶ所湾のたぬ公、旬なものしか目がないと
きている。
ところで、太郎クンはなぜ「おっぱい」が見えるの。
ま、いまさら名前を変える気はないのだが…


五ヶ所湾はイカダ釣りのメッカ。
このようにイカダに4人、5人といるのもめずらしくない。
狙いはチヌ(黒鯛)で、竿先を一日中にらめっこして
いる。
真夏でも人の出が劣えないところを見れば、この釣り
にハマルとそりゃあ並の神経では収まらない。。
とにかくこの日は風が止むと蒸し暑く、サバイバル覚悟
の釣り地獄が待っていた。

格言どおり、
「釣りとは、さおの片方に糸と針が、もう片方に馬鹿が
くっついているもの」
…けっして写真の人々を特定していませんので誤解
なきように。
椅子に座って器用に寝ている(のびている)人もいます


こちら、裸の青年たちはカセ釣り。
狙いは同じくチヌ。
あまりの暑さに服を脱ぎ捨ててパンツだけに。
冷やかし半分に聞いて見る。
「どう つれたあ−?」

  「…いいえ-」

「一枚もお−?」

  「…はぁい」
nuu7816   63s0149 きっと彼女はいないだろうなあ…