登山再開記念は剣岳

一番最後に登った山はどこだっけ?
山らしい山を思い出してみましょう。

う〜む
あまりにも月日が経つせいか、決定的な山が思い出せない、
おそらく30年近く、登ってないんだろうね。

五ヶ所に移住し、庭仕事が一段落したら再開する予定でした。
一年前からの装備購入は、決意を固めるためです。

最初はズボン(トレッキングパンツというんだね)を求め、
それからシャツを買いました。
これだけで財布がスッカラカンになりました。

いよいよ登山再開です。
記念となる山は、地元の局ケ頂(311m)と決めました。
この山に相応しい軽登山靴も揃えました。


 
 局ケ頂から剣岳に変更


3年ぶりのクラス会の案内がとどきました。
今は廃校となった富山県の小学校。

発作的に決めました。
「そうだ、クラス会が終わったら剣岳に登ろう、
 記念すべき再開登山にとって申し分ない山だ。
 そうだ、そうなると、同じクラスの友も誘わないと」


そしてその結果が上の写真です。
ワタクシの哲学ですが、
真の友というのは、遊びの誘いは断りません。

クラス会ですから、夜遅くまで飲みました。
しかし、夜が明けたらココロは雲上にあります。

小雨の中、トボトボと歩き出しました。
友は酒豪ですが、それでも気持ちが悪そうで、
ワタクシは下戸ですから当然、頭がチクチクします。

おまけに視界はゼロです。見えるのは足元だけ、
救いはお喋りしかありません。

足を止めない限り、いつかはたどり着くでしょう、
今日の宿は体の調子次第です。
近くの剣御前小舎か、剣沢小屋か、そして一番遠くの
剣山荘か。

小雨混じりの霧のなか、剣岳がほんの少し顔を出し
ました。
剣山荘に向かいました。











 
 いざ、山頂へ  そのため、いざ休憩、休憩

小屋の宿泊客は我々を入れて5名です。
晴れた前日は200名だったと聞きました。
そりゃそうですね、
雨の天気予報なのに、なにを好んで険しい
剣岳に登りましょうか。

小屋は一晩中風雨に打たれていました。
5名の内一人は下山、
二人は登頂を止め、明日に延期しました。
山頂目指し、小屋を出たのは我々だけです。

雨は止みそうにありません。
しかし不安はありません。

それは富山へ旅立つ前日に買い求めた雨具の
おかげです。
女性店員の勧めで、高価なものを選びました。

前評判通り、蒸れは少ないですね。
それに汗をかかないよう、超スローペースに
徹したせいでしょう。

というか63歳ですから、自然にノロマになります。
それに視界不良でも、お喋りのおかげで退屈しま
せんし。

なんといっても、だれにも会わないのが最高。
晴れた日には、鎖場で長打の列となります。
待たされないのが一番うれしいですね。













いつのまにか着いちゃった、
という感じで、ハイ、登頂です。

記念写真をセルフタイマーで撮りました。
しかし、これが結構疲れるものでして。

10秒設定ですから急いでもどります。
それぞれのカメラで、何枚も撮りますから
何度も行き来します。

狭い岩場を駆け足で何度も往復します。
おかげで石につまづいたり、滑ったり・・・

岩場にポコンと置いたカメラが、雨で滑って
カクンと傾き、はい、もう一度。

名峰からの教訓です。

「頂上は休息する場にあらず」








三日目は下山。
見事に晴れました。

たくさんの人が頂上に向かいました。
頂上を背にしているのは我々だけです。

誰にも会うことはありません。
秋の剣岳を、 
一番イイ場所で独り占めです。



 




 

剣御前に到着。
後は室堂に下るだけです。

大日岳の向こうに、富山平野と富山湾。
名残り雲が、湧いては消えていきます。

友は小学6年間と、中学3年生で同じクラス。
寝床を並べ、果てしなく語り合ったのが青年時代。
真剣でした。

当時の若者がだれもが熱くなったこと、
人生の生き方と、それにオンナへの憧れです。

若くして亡くなった友を加え、三人の語り合いが
どれほど大きなものだったか・・・

わが青春は山と、友と、そしてオンナの夢でパンク寸前
でした。

そして今は、山が復活し、変わらぬ友があり、家族(まご)が
あります。

財布がパンク寸前です。