海から眺めた前景。上の小屋もありますから最近の写真です
感無量

事の始まりは、とにかくアプロ−チにいささか時間を要しても、自然豊かで値段が
できるだけ安い土地をと。
加えて水が確保できればそれで充分と思っていたのに。
事態は、急展開で膨張していく。
共稼ぎであるが、経済的に余裕ある身ではない。
とどまることを知らない支出の膨張に、家庭内財政危機はひっ迫しており、妻の
まなざしも次第に険しくなってくる。

このような状況下で、万一どこかに「狂い」があれば、全てが御破算になってしまう。
一つの賭けであるが、ここは人を信じる他はない。

海に面した堤防の復旧も併せて、工事が始まった。
小屋の基礎はすでに夏の終わりに完成したのだが、建屋の方は一向に進む気配
がない。
田舎のペ−スと割り切るしかないと、じくじたる思いが募る。
不安で何度となく現地に通ったが、先に進まぬ進捗状況に頭がふらつく事も。

季節は巡り、建物の完成がとうとう年を越してしまった。
半分は土間の、残り半分は畳み敷きの延べ6坪の、ちっぽけな小屋なのに、よくぞ
ここまで人を翻弄させたものである。
経費を押さえることもあり、電気、水道、排水工事の一切に、歩道の整備、石垣の
築造と、小生がやらねばならないことが沢山あった。

遠方の事で、無用な心配も数限りなく、うろたえたあげく日帰りの交渉も何回あった
ろうか。
時代の節目に、くっきりと足跡を残してきた団塊の世代である。
生まれ落ちた時から過激な競争社会をくぐり抜けてきたおかげで、若いやつらに比べ
てタフな力が、まだどうにか残っていた。

ちっぽけな小屋だが、難産で誕生しただけに、思い入れもひとかたならぬものがあって。
蛇口から水道を浴びた時には、さすがに感無量。
屋外水栓の持つ家庭が羨ましく、積年の恨みが、敷地内に4ヶ所の水栓柱を立ててし
まったほどである。

ここに通い詰めて、はや7年にもなろうとしている。
積る話も、小生一人に留めておくには器が小さすぎる。
少しでも、聞いてもらえれば、こんなに嬉しい事はないのだが…。

山里ならぬ海里に、今日もしげしげ通います。
「人情と太陽の楽園」と謳われる五ヶ所湾で、「田舎暮らし」を味わうために。