桟橋に船が近づくと
犬の花子がさかんに
ヨロコビ吠えまくりま
す。
さっちゃん
さっちゃんは女漁師。
ずーとずーと昔のおはなし。
小さな入り江の入り口にしつらえた定置網が、さっちゃんの稼ぎどこ。
今はその定置網も取り外され、大きな船だけがゆったりと横たわっている。

「そりゃあなあ、むかしはぎょうさん魚がおったもんや」
「さっちゃんは毎日船を出してさ、網に入ったさかなを捕りに行きおったんやあ」
70才をとうに過ぎた爺さんが、鼻の穴をおおきくふくらませ、まるで自分のことのように胸
張って語る。
お年よりが、縁側に集まってさっちゃんの思い出に花が咲く。

「海が荒れた日にゃ大漁でなあ、ここの入江に魚が、みんな逃げ込んだもんでさあ」
「スズキさあ、そりゃあでかいのもおりゃあ、たくさんとれたもんでさあ、さっちゃんなあ、えらい
喜んどった」
70才を少し過ぎた爺さんが、思い出すのに顔を天井に向けたまま語る。

「ここでは漁は、さっちゃんだけやったなあ、他の漁師はみんな真珠養殖やもんでなあ」
「そやけど、さっちゃんは漁だけで稼いで食っていけたんさあ、えらいもんやさ、なあー」
70才をとうに過ぎた爺さんは自慢そうに口をとがらせる。

「さっちゃんは、ところで、旦那さんはどうなさったね」
70才にもう少しで手が届く小屋の主人が、焼きたての魚をせわしくほおぼりながら聞いた。

「ああ、 はよう亡くなって女ひとりでやっとたんやあ」
「子供を育てながら、毎日海に出よってなあ」
70才を少しすぎた爺さんが足元に目を落とし、小さな声でぼそっとつぶやく。

「さっちゃん、言っとったなあ」
「海が荒れると、一年分の魚が捕れるから、荒れてほしいわ−てさ」
70才とうに過ぎた爺さんが、ため息まじりにうなづいた。

さっちゃんは、もうすでにおばあちゃんだ。
70過ぎの爺様たちが奏でる「さっちゃん」が、昔の入り江を縁側まで運んでくれた。
さっちゃんはきっと幸せだったんだろうなあ、と思う。
たくましい漁師さんたちに囲まれて生きてきたのだから。
酒でほてった頬に、やさしい海風がなでていた。


この小屋の主は片道3時間以上かけて週末にやってくる。
「もう25年もたったよ」と、白髪の頭をかいて照れながら笑った。
年に一度か二度、老漁師たちがこの小屋にぽつりぽつりと集まって、昔話に花を咲かせる。
そして今日も、ペンキでゴテゴテに塗りたくった木造船が、ゆっくりと桟橋に近づいていくと、
主の飼い犬の「花子」が、狂ったように喜び迎えるのだ。

小さな入り江に「花子」の吠え声が響くと、こちらも気が浮気だつ。
そろそろ伺おうかなって。
そして老漁師のむかし話のつづきを聞いてみたいなあと。

「ワン、 ワン、 ワン、 ワン」 花子がさかんに呼んでいる。

左中の家が「花子」邸です。